鳳来寺山(ほうらいじさん)
| 標高 | 695 m |
|---|---|
| 名山ランク | 日本百低山 |
| 所在地 | 愛知県 新城市 |
| 座標 | 34.98408, 137.58275 |
鳳来寺山の魅力・特徴
- 標高 695 m の日本百低山
- 愛知県 新城市 に位置する
- 気軽に登れる低山として親しまれている
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鳳来寺山について
鳳来寺山(ほうらいじさん)は、愛知県新城市にある美濃三河高原の標高695 mの山。別名が、桐生山、霧生山。
山名の由来
山名はその麓に真言宗五智教団の本山の鳳来寺があることに由来する。それまでは桐生山と呼ばれていたが、いつしか鳳来寺山になったと言われている。
概要
旧火山帯の南端に位置する約2000万年前に活動した火山であり、山上には老杉が茂り奇石がそびえている。1931年(昭和6年)7月31日に、花樹、花草、紅葉、緑樹などの叢生する場所、鳥獣、魚虫などの棲息する場所、岩石、洞穴、展望地点、着生草木の著しく発生する岩石又は樹木、岩石の組織などの指定基準により、山全体が国の名勝および天然記念物の指定を受けており、自然の宝庫とも形容される。鳳来寺山の地域は、愛知県の生物多様性ホットスポットの一つに選定されている。山域は鳳来寺山県立自然公園として都道府県立自然公園に指定されていたが、1969年(昭和44年)1月10日に天竜奥三河国定公園に移行指定され、南斜面などはその特別保護地区の指定を受けている。コノハズクの生息地として全国的に有名。歌川広重による六十余州名所図会の浮世絵木版画『鳳来寺山巌』で名所として紹介された。岩崎元郎による新日本百名山のひとつに選定されている。
歴史
703年(大宝3年)に利修仙人(りしゅうせんにん)が開山した真言宗五智教団の本山の鳳来寺があり、古くから信仰されていた。かつては山岳仏教の修験場で、上部にある奥ノ院が修験者の修験の場として用いられていた。源頼朝が伊豆の地への流刑となり逃亡中、殺生禁断の地とされる鳳来寺を頼って、僧坊のひとつである医王院に匿われていたという説がある。その後頼朝は平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開いた後に鳳来寺を再興したと伝えられている。鳳来寺参道の石段も頼朝の寄進によるものと伝えられている。
徳川家康の父松平広忠とその妻於大の方は、世継ぎの出来ないことを憂いて、鳳来寺の医王院に籠って祈願し、徳川家康を授かったと伝えられている。1650年(慶安3年)4月に徳川家光が鳳来山東照宮の建築を命じ、徳川家綱が1651年(慶安4年)9月に完成させた。徳川幕府の手厚い保護を受け、21院坊、寺領1350石という盛大さを誇った。鳳来寺の表参道の石段沿いには多数の院跡(松高院、医王院、等覚院跡、岩本院跡など)と坊跡が残っている。江戸時代に鳳来寺のふもとの門前町「門谷(かどや)」には旅籠が50軒、芝居小屋が3軒もあったといわれいる。