高田大岳(たかだおおたけ)
| 標高 | 1559 m |
|---|---|
| 所在地 | 青森県 十和田市 |
| 座標 | 40.65311, 140.90710 |
高田大岳の魅力・特徴
- 標高 1559 m
- 青森県 十和田市 に位置する
- Wikipediaにも記事がある知られた山
週間天気(参考)
高田大岳について
高田大岳(たかだおおたけ)は、青森県の八甲田山系にある火山である。八甲田山中、青森市と十和田市の境界に位置する山。円錐形の堂々とした山容をしている。斜面も大きく、春山スキーの滑降コースとして楽しめる。また植物の垂直分布が顕著に見られ、900m付近まではブナ林帯で、その上部はアオモリトドマツ林帯、さらに山頂にかけてはハイマツ林帯となっている。山頂付近にはコケモモの群落もある。
高田大岳は1684年(貞享元年)の茂屋村書上図にはコバ嵩(コガの誤りか?)と記載されている。また、菅江真澄の「ふでのまにまに」(1811年、文化8年)には小河嶺と記載されている。これは双方とも津軽藩側の記録である。1859年(安政6年)の七戸通御絵図では高田大嶽と記載されている。以降「コガノ大岳」(津軽藩側、南部境山絵図、安政末期)、「八高田大嶽」、「かうた嶽」、「大嶽」(以上南部藩側)という名が見られる。南部側での八甲田山を代表する山で、カウダに高田の文字をあてたのがもとで、現在の山名となったのであろう。明治期になると測量により、北八甲田に関しては津軽藩側の名前が残された。しかし、高田大岳に関してはコウダからタカダとして南部藩側の名前がのこされた。
江戸時代には「御廻組」と言われた藩境見回りが、津軽藩、南部藩の藩境を毎年確かめていた。藩堺は密生する柴や根曲がり竹の薮をさけて、堅雪の時期に実施された。高田大岳は藩堺の大切な起点のひとつであった。江戸時代の藩境は、笠松峠、硫黄岳、八甲田大岳、小岳、高田大岳、黒森、石倉山(山頂は通らない)、七十森山…、と現在の青森市の境界と一致する。
1876年(明治9年)に編集された新撰陸奥国誌に、高田大岳とその周囲の山が深持村の項目に記録されている。「高田岳 すなわち耕田岳と云い、八耕田山のことである。本村の西5里10丁にあり、麓から頂きまで高さ120丈。山脈は津軽郡に跨り一大区と介し、東に小岳あり。北は田代大谷地に至るこの山は八耕田山の支峰にして、津軽郡にては、離山または後山とも云う。八耕田は八峰を併せ名にて、山脚一大区一小区の広平の野に続きだいたい10里にわたる以上諸山、雑樹うっそうにして、山竹蔓延し峻厳、聳えまっすぐに立つ。登坂する所あり。猟人等雪中に行くのみにして、夏月登ること、耐え忍んで山脈を詳しく測る者なし。旧弘前にて毎年冬月雪山谷が埋まる頃、町村堺を巡視するに峰から峰を歩くことが出来れば、山中の景光を区別することなしかたしと云う。」周囲の記述にある、大柴森山(通称谷地大岳974.5m)は谷地温泉から高田大岳の途中の三角点(三角点名大岳)がある山である。松形山は今の硫黄山である。
1878年(明治11年)の『法量村地誌』では「小岳山と相提携して双尖谷地温泉の西に突起する。