神峰山
| 標高 | 598 m |
|---|---|
| 所在地 | 茨城県 日立市 |
| 座標 | 36.63486, 140.60875 |
神峰山の魅力・特徴
- 標高 598 m
- 茨城県 日立市 に位置する
- Wikipediaにも記事がある知られた山
週間天気(参考)
神峰山について
神峰山(神峯山)(かみねさん)は、茨城県日立市にある山である。
阿武隈高地南部では、高鈴山とならぶ高峰であり少ない尖峰である。南北に2つの頂があり、北の頂(587.1m)には四等三角点(基準点名:小松沢,標高:586.70m)が設置されている。
山頂(南の頂)には神峰神社、日立大煙突記念碑があるほか、山頂の南約150mには日立市天気相談所の気象観測所(神峰山観測所)がある。
山の南面は宮田川の流域で、急斜面をなし、日立鉱山の関連施設や鉱山精錬場の立地場所となり、地形の人工改変が著しい。山頂からは、南方の視界が開け、日立大煙突の向こうに、日立市街と太平洋が見渡せる。
神峰山は、高鈴山とともに、多賀山地(阿武隈高地の茨城県部分)の主峰となっている。
付近一帯の地質は、日立変成岩とよばれる古生代・カンブリア紀・石炭紀 - ペルム紀の堆積岩・火山岩起源の結晶片岩や花崗岩類からなり、山頂部部分は火山岩起源の緑色片岩である。
この山は、高鈴山と同じく、阿武隈山地脊梁部分のなだらかな小起伏面上に突出する残丘であったが、山の南側の宮田川流域で、最近2万年以降の侵食復活により、山頂部分まで侵食が及び、急斜面に囲まれた尖峰となった。
神峰神社と日立市の名のおこり
神峰山はその山容から、沿岸海上からよく目立ち、山あての山となっていたと思われる。
山頂のある旧宮田村、近隣の旧助川・会瀬村の漁民の信仰があつく、山頂に宮田・助川・会瀬の鎮守の神峯神社がある。
江戸時代の元禄年間、水戸藩第2代藩主徳川光圀公が、隠居後、神峰山に登り、神峰神社に詣でて、朝日が昇ってくるのを眺め、その光景は領内一だと言ったといわれ、のち、宮田村が日立村となったのは、この伝説によるという説がある。
1905年に、久原房之助が宮田川上流の赤沢銅山を再興するに当たり、村名を取って、日立鉱山と改称した。日立鉱山から、日立製作所がうまれ、1939年に成立した日立市の名前の元となった。
日立鉱山の操業、発展により、鉄道が設けられ、神峰山南西の本山を中心とする鉱山集落が発達し、日立市の鉱工業発展の発祥の地となり、太平洋戦争から戦後にかけて最盛期を迎え、住民は7,000余人に達した。
日立鉱山は、結晶片岩の地域に分布し、黄鉄鉱や黄銅鉱を産出する含銅硫化鉄鉱床で、日本屈指の銅鉱山であった。神峰山地下では神峰、中盛、笹目鉱床があった。
1908年に、山の南東の大雄院で、操業を銅精錬場が操業を開始し、1981年に閉山するまで、44万tの銅が生産された。
1929年以降は日本鉱業株式会社(現、ジャパンエナジー)の経営下にあった。