日本国(にほんこく)
| 標高 | 555 m |
|---|---|
| 名山ランク | 日本百低山 |
| 所在地 | 山形県 鶴岡市 |
| 座標 | 38.53000, 139.60000 |
日本国の魅力・特徴
- 標高 555 m の日本百低山
- 山形県 鶴岡市 に位置する
- 気軽に登れる低山として親しまれている
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日本国について
日本国(にほんこく)は、新潟県村上市と山形県鶴岡市との境にある山である。別名を石鉢山(いまくさやま)とも呼ばれる。
正保2年の庄内絵図(山形県史巻末綴)には、居熊沢山越後境とある。
山名の由来
進藤重紀の出羽国風土略記に「小鍋村の番人ハ百姓の内より置之、大小御免、御給穀あり、小寺氏小国の南日本国といふ所 越後出羽の境也といへ共、今日本国といふ所なしとそ、越後境御茶屋峠といふ所より半道斗手前に古村居の跡ありといふ」進藤重紀 出羽国風土略記 田川郡小國館」(2冊目:24の後)1762年(宝暦12年米沢市立図書館)と記されている。「越後出羽の境に日本国という名の地があったというが、今はないと言うことだ」この文言はかつて日本国の地があったことを示している。それが山の頂上なのか峠にあったのかは記載されていない。御茶屋峠は、堀切峠のこと。堀切峠は「慶長瀬波郡絵図」にも「越後堺ほり切」とある。新藤重紀はなぜ越後領の古村居を書いたはのかも記していない。
『温海町史』は、「堀切峠(小名部)より西の方、越後出羽の国境に日本国という山があり、古来鷹待場があったと伝えられている。地名の由来は、昔ここで獲られた鷹を領主が将軍に献上したところ、日本無双の鷹と賞賛されたので、日本国山と名付けられたと伝えられている。」と記されているが、鷹の捕獲者名、領主名や将軍名、日本国の命名者名は記されていない。(温海町史上巻 温海町史編さん委員会 温海町 1978年 p949 国立国会図書館デジタルコレクション 510/545コマ)
渡辺勝男は『歴史の山 日本国山考 ―鷹献上の口碑を探る』で「慶雲二年(七〇五)越後初代城司に任命された威奈大村が四年四月に死去し、慶雲四年十一月に安倍朝臣眞君が第二代越後城司に任命された。最初の仕事が和銅元年(七〇八)の出羽郡設置の申請であった。この間、阿部眞君は立派な鷹の羽を天皇に献上している。阿部眞君が鷹の羽を献上したのは史実であり、その鷹こそ羽越国境の日本国山であることが口碑として伝承されているのであろう。「ここまでが日本国」とあの山は以東の地域には大和朝廷にまつろわぬ蝦夷勢力があることの発想からの名称であろう。阿部眞君こそ日本国山の名付けの人であると言ってもよい」と記している。(渡辺勝男 図説にいがた歴史散歩-村上・岩船― 新潟日報事業社出版部編 新潟日報事業局社1983年 P188~189 国立国会図書館デジタルコレクション 97/104コマ)
長谷川 勲は『にいがた地名考』で日本国の名称について、「地元では、すり鉢山。某誌には日本国と蝦夷地の境の意。飛鳥時代の蜂子皇子が隠れ住み、これより彼方は日本国と言ったが、日本国が使われたのは720年からなので否定。 江戸期大代村の遠藤某が庄内の殿に贈った鷹を殿が将軍家に献上したら将軍家から山を日本国と名付けよとなった…